2007年12月16日
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下高井戸宿の地理的範囲・実は下高井戸駅~桜上水駅~上北沢駅相当!?

Written By: 川俣 晶連絡先

 江戸時代の甲州街道(甲州道中)の下高井戸宿の地理的範囲を、『文化財シリーズ26 甲州道中「高井戸宿」 杉並区教育委員会』の図に即してGoogle Maps上で示してみます。

 位置は厳密なものではありません。Aの位置は、他の複製古地図を参照してほぼ正しいと思いますが、Dの位置は曖昧です。また、甲州街道(国道20号)は首都高速4号線建設時に大幅に道幅を広げていて、それによって位置関係に狂いが出ている可能性もあります。

下高井戸宿の範囲 §

 見ての通り、京王線の駅でいうと下高井戸駅~桜上水駅~上北沢駅にまたがる広い範囲に展開されていた宿場町であることが分かります。ただし、半宿半農の宿場町と言われており、けして規模の大きな宿場町であったとは言えないようです。つまり、建物間はスカスカだったということですね。旅人に便所を提供して肥料の糞尿を手に入れていたという話もあるようです。

 ちなみに、上記のDの近くに「ここが下高井戸宿」という説明板があったり、Aの近くの下高井戸商店街のあたりで「ここが下高井戸宿だった」という話があったりしますが、すべて間違いではないことになります。宿場とは江戸幕府が制度として公式に運用したシステムの一部なので、範囲に曖昧さはないはずです。(現在正しく範囲を把握できるかは別として)

本陣の位置 §

 本陣の位置は覚蔵寺の正面、街道南側らしい(厳密には不確定)ので、上記のポイントあたりでしょう。

 ほぼ中間に近い位置に存在したことになりますので、妥当な位置でしょう。

ミステリー §

 しかし、そうすると上記のAやDを下高井戸宿の代表的な位置と見なすのは難しいことになります。それにも関わらず、なぜAに近い駅に下高井戸の名を付けたのか、まだ分かっていません。

 ちなみに、このあたりは杉並区と世田谷区の境界が入り組んでいますが、下高井戸駅は杉並区下高井戸、桜上水駅は世田谷区桜上水にあるからそれぞれの駅名になっている……という解釈は誤りです。なぜなら、下高井戸駅は杉並区下高井戸ではなく、世田谷区松原に存在するからです。同じ世田谷区にあって下高井戸にはない駅に名前を付けるなら、より本陣に近い現桜上水駅を下高井戸と命名した方が良かったのではないか?

 更に言えば、桜上水はもともと車庫の駅です。現在、車庫の多くの土地は住宅展示場になっていますが、元々は大きな京王線の車庫がありました。ということは、広い土地が容易に入手できたことを意味します。本陣に近い位置の方が、容易に土地が入手できたというのは、どういうことでしょうか?

 いろいろなミステリーがまだまだ残っているので、そのうちに機会があったら調べてみましょう。

補足 §

 だから、WikiPediaの高井戸に書いてある以下のような説明は問題あり……ということになるわけです。これは地理的範囲の西端を代表的な場所であるかのように説明してしまっています。

現在の首都高速4号線と甲州街道の交差部、一里塚の残っている辺りが下高井戸宿

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